咲俊

考えたこと感じたこと

はじめましての(1)

これから文章を書いていきます。

よろしくお願いします。

 

いきなりですが、ブログを始める意味について少しだけ考えてみます。

というのも、開設には色々な理由(予想ではそれほど色々は無さそうだが)が

あるのですが、各要素が頭の中で泳ぎまわり、お互いが混ざりあうことでその本質が見えなくなったり、かと思えば突然浮上してきたりで、とにかくごちゃごちゃしています。

非常に混乱するので一度は洗い出してみる必要があると思いました。

もしかしたら、大して意味がないかも知れない…そんな結論が出るかもという己の曖昧さに呆れつつも、書き連ねてみます。

 

まず最初に、記憶を辿り、ブログを始めようと思った理由で一番古いものを探してみると、それは表現の場が必要というものでした。そのように思考が赴いたのは、公然の場(インターネット)で何かを出すという機会が減ったことに対して、物足りなさを感じたからでしょう。

去年の夏に何年か続けていたツイッターのアカウントを削除し、並べて運営していたTumblrやpixivも更新を辞めるという出来事がありました。そのような行動をした理由は置いておきますが、事実として「作ったものを評価してもらう一連の流れ」が自分の日々から消えます。肩の荷が下り、生活に緊張感が生まれることは無くなりました。私はこれにより、何を失い、何を得たのでしょうか?

1.1.何かを作る義務に追われることが無くなった。

 ⇒好きなことに存分に時間を裂けられるになった。

一方で締め切りがないため、長い間これといった成果物が何も生まれませんでした。のんべんだらりと暮らしたのは正しかったのか。それはわかりませんが、少なくともtwitterを辞めたことは良かったと思います。とはいえ、twitterをやっていたころもそこまで締め切りに追われていたかと言われれば微妙でしたが。

1.2.レスポンスが無くなった。

個人的にはこれは大きいのではないかと思います。twitterに成果を上げていた動機で大きいものとして、インターネットを通した誰かからの反応が欲しかったのが上げられます。より詳細に言えば反応を受けて得られる「手ごたえ」欲しさからだったといえます。どれだけの人数が反応してくれたか。どんな人が振り向いてくれたか。普通の日常では考えては消えてしまう思考(想像、妄想と言ったほうが良いのか)ですが、これを具現化することによってどれだけの価値が生まれるのかを測る。そういった意味合いがあったのではないかと考えます。

 

表現の場が欲しい。ブログ開設によりこれらの穴は満たされるのかを考えてみます。

まず、成果物をうむ義務がなくなったことについて。これはブログを始めて本質的に得られることではないと思います。だって、義務なんてありませんから。ブログでお金を稼ぐ、ブロガーと呼ばれる人々(定義合っている?)なら生活のためにそういった義務感が生まれる余地が多分にありますが、自分にはその気はありません。というか、そもそも義務感で文章書きたいのか?と言われると微妙です。

もう一つですが、レスポンスの話。こちらも微妙だと思われます。なぜなら特にジャンルも決めず、一発目からこんな文章書いてる時点で、具体的なビジョンが無いからです。レスポンスを得るには読者が必要です。そしてその読者を得るには、ジャンル、明確に言うならば読者獲得のためのタグとでも言えば良いのでしょうか、そういったものが要ります。また「著者」で何かしらタグが付けられれば良いのですが、自分はこれといって何者でもありません(twitter時代の名前を使えば多少いけるのかもしれない)。それが皆目設定されていないとあっては、そもそも読者を得るなど先の遠い話です。そのように自分が考えるのは、twitter開始初期の頃に非常にニッチ需要的ジャンルで読者獲得を図っていたからです。

 

さあ、義務感から来る緊張感、あるいはレスポンス。そういったものはあまり期待できないことがわかりました。「表現の場が欲しい」という目的は、やや的外れであることが伺えます。とはいってもこれは現段階の話なので、後に胎動を始めるかもしれませんが、とりあえず今は「ブログを始める理由」内のパーセンテージを下げておきます。

降順のリストの下のほうに格納しておきましょう。

 

まだ終わってませんが、とりあえず辞めます。

新しい記事を作るか、追記するかはまた決めます。